Akane YOSHIDA

1976年6月27日 福岡市で生まれる。
銀杏中毒で一度死にかけるも、元気に幼少期を過ごす。

79年 妹誕生。同年福岡音楽学院附属幼稚園に入園。
特に音楽の道を目指していたわけではないが、家の近所だったため通うことに。
この頃からピアノを始める。淀川郁子先生に師事。
園内ではいつも男の子の中に1人混じって(混じってというより、自分が先頭をきって)遊ぶおてんば。
好きなテレビは勿論「仮面ライダー」。仮面ライダーごっこではいつでも主役。(爆)

82年。無事同幼稚園を卒園。
同年、福岡教育大学教育学部附属福岡小学校に入学。
この頃、「私はお勉強を頑張る」と子供心に思い、ピアノを辞める。
ところがその半年後、「みんなやってるから」という理由により、いとも簡単にピアノ再開。
それがここまで続くことになろうとは、その頃思う余地もなし。中村順子先生に師事。

小学校低学年は、幼稚園の頃のおてんば気質をそのまま引き継ぎ、
男の子とドッジボールやサッカーにいそしむ毎日。
授業でも進んで発言、自ら学級委員になりたがる単なる目立ちたがリや。(笑)

高学年になるにしたがって、次第におとなしく。理由は自分でもわからず。。。
87年 生まれて初めてコンクールを受けるが東京の本選で撃沈。レベルの違いに愕然とする。
しかしその翌年(88年)第4回日本ピアノ教育連盟ピアノオーディション入選。
第42回全日本学生音楽コンクール福岡大会小学校の部第1位。
初めてのコンクール入賞はとても嬉しかったが、小学生の身としては、予選の為に運動会、
全国大会の為に修学旅行に参加できなかったのは本当に悲しかった・・・
生活面では、5年生の時にドジから大怪我。転んで石が入り、膝を五針縫う。ケガ人生の始まり、、、

89年 小学校を卒業、福岡教育大学教育学部附属福岡中学校に入学。
何かと体育会系な行事が多く、毎日疲れて寝ながらピアノを練習する毎日。気がつくとリピート演奏。(爆)
ちなみに、試験勉強などは前もってやる堅実な計画派。大学以降の私ではとても考えられない・・・
1年生の時バスケで指を骨折。コンクール前という事もあり2週間という脅威の早さで完治させる。
その後、第6回日本ピアノ教育連盟ピアノオーディション入選。
翌年90年、全日本学生音楽コンクール福岡大会中学校の部第2位。
3年生になると、月1回レッスンのため東京へ。日帰りではあったけど、1人きりでの上京は
なかなかスリルがあるもんだった。この頃から有賀和子先生に師事。

92年上京し、桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)に入学。
女子寮に入寮。初めて親元離れての寮生活は、大変なことも多かったけど楽しかった事もたくさん。
2年生の夏から本格的に1人暮らしを始める。
2年生の冬、新宿駅の階段で発車間際の電車に乗ろうと慌て階段から落ち、靭帯断裂。
松葉杖生活。左足だったため、その時の後期実技試験も松葉杖でなんとか受験。先生たちの注目を浴びる。(笑)
その年94年、第10回日本ピアノ教育連盟ピアノオーディション入選。
95年、高校を首席で卒業、卒業演奏会に出演。

同年、桐朋学園大学音楽学部演奏学科に入学。
96年、福岡にてリサイタル。
同年、第12回園田高広賞ピアノコンクール準園田高広賞(第3位)受賞。
4年生の時(98年)に行ったスイスの講習会で、パリの学校を受けてみることを勧められ、卒業後の渡仏を決意。
99年、大学を首席で卒業、卒業演奏会に出演。
同年、皇居内桃華楽堂にて演奏会出演。

同年秋、パリ国立高等音楽院大学院課程(conservatoire national superieur de musique et de danse de paris  
          cycle de perfectionnement)に入学。ジャック・ルヴィエ氏(Jacques ROUVIER)に師事。
パリにて幾つかの演奏会に出演。
2001年6月、同音学院を修了し日本に帰国。

第2回チェルニー・ステファンスカ国際ピアノコンクール 第5位入賞。
2002年、東京にて2回のソロリサイタル。
同年福岡にてジョイントリサイタル出演。
2003年、第111回日本演奏連盟推薦新人演奏会オーディション合格
黒岩英臣指揮、九州交響楽団とシューマンのピアノコンチェルトイ短調共演。
第22回飯塚新人音楽コンクールにて、大賞受賞。

現在は、自宅で生徒のレッスンをしながら、自分の勉強も継続中。
2004年4月より、福岡女子短期大学音楽科非常勤講師。
毎週5時半に起き、心臓破りの坂で息を切らしている。
相変わらず、平坦な道でコケそうになったり、部屋の入り口にぶつかったり、歯磨き粉で顔を洗いそうになったり
ボケボケな毎日である。。。